明か、清か、後金か、それとも義か情か、金蛇営
なぜかというと清は漢族の国ではなく女真族の国だからです、つまり漢族が異民族に領土を取られたというわけです。またヨーロッパ列強(ポルトガルとか)が火器(大砲など)を持ち込みはじめた時代でもあります。
武侠といった場合の基本スタンスは「好漢」です。ですので、漢族の王朝を守護するというのが一つの価値観でもあります。
金庸先生の作品は、ここら辺の時代を扱ったものが多いと言えます、なぜかというとそれが漢族にとってのアイデンタティの危機でもあり、またそれを巡って多くの志士が登場したからなんでしょう。また、女性の「英雄」の存在も組み込んでいく辺りは金庸先生ならではでしょうか。
まあ、日本で言えば明治維新みたいなもんでしょうか。まあスケールは中国の方が大きいですが。
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なお、明の最後の皇帝・崇禎帝が即位したときには飢饉が起こり、反乱、後金軍の侵攻の内患外憂状態。名将袁崇煥が後金軍を防いでいたものの、後金(清)の策略に嵌った崇禎帝により誅殺。、李自成の乱の後、1644年、李自成軍の包囲の前に崇禎帝は自殺し、大明は滅亡。
で「碧血剣」の主人公の袁承志は袁崇煥の後代的(つまり子)で父の報仇を「義」とし、そして女傑の阿九は崇禎帝の娘で、父娘、師弟そして恋慕の「情」に揺れ動く。この両者の微妙な関係がドラマでの一つの基調線となってます。
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実際のところ、明の皇帝に報仇して、また漢族としての義を貫いても、外敵の干渉する機会を提供するだけで、漢民族の自滅状態に近いものがありますが、とはいえ明が存在する限り、異民族に寝返らないというのも「好漢」としての任侠でもあります。寝返ると代々にわたり不名誉となるわけです。漢族は不名誉や屈辱を受けるよりは、大義のために生きるという価値もあります。
ここら辺の衝突する価値観の中で、自分のポジションをどこにおいて乱世をどう生き抜くか、ここが大きな問いなんでしょう。勿論、青年・袁承志はこれらの価値観の衝突を性善説的な発想で超越していきますが。人間主義というんでしょうか。
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いずれにせよ、義も情もそれぞれ価値に基づき生じるものです。