「Innocence イノセンス」を鑑賞
ディスク2のメイキングでは、押井氏のインタビューもありますが、サブ・キャラクター・デザイン・作画監督として西尾鉄也氏が登場してます。従来の人間を描く手法は、人間の顔のイメージと体の筋肉の連動をきちんと押さえることがポイントなんですが、この映画のように表情を変えない人形、筋肉が連動しない人形の動きをアニメ化するには、意図的に感情を殺して「下手に」、しかし伝わるイメージを作るという非常にアニメーターとしては新しい試みで苦労した、と語ってます。
さて、この映画の内容は、古くいえばブレード・ランナーの人造人間(サイボーグ)と人間らしさの境界線を探るもの(それはつまり、「あなたは誰ですか?」という問い)ですが、ブレード・ランナーと違うのは「電脳化」という要素が深くあるところと、あくまで実写ではなくアニメというところです。ブレード・ランナーが作られた時代には、まだ電脳化・ネット化・マトリックス化という要素は無かったためでしょう。
ただし、現在でもサイボーグ化が眼に見る形ではまだ人間が認識されていないことから、進歩的なテーマの内容、おそらく近未来に大きく再評価される作品ではないかと。
自分の肉体感覚が希薄になると、「本当に自分は現実に生きているのか」という感覚が怪しくなり、不安になります。その時に肉体が行う作業は、体を重くするというものです。突然、太るという現象は、「地に足をつけたい」ということでもありますし、また急速に意識だけ体の外にでてしまっている、ということでもあります。後者の場合は、有る意味で病的です。
つまり、自殺願望まで行かないとしても現実逃避が病的になってくると、肉体は意図的に対抗措置として急激に肉体を重くして、本人の動きを封じるというわけです。あくまで急激に太る場合の話です。
外部記憶装置としての都市、町というのも、確かにそうかもしれませんね。
なお、卑近な例ではあなたの家、部屋も外部記憶装置と言えます、ですのでそれを見れば、その人の記憶のデータを感じることは可能です。つまり部屋をみればその人の頭の中のデータがわかるってことです。
ちなみに西尾氏は学友です、活躍している様子を見れてよかったです。黄色いタオルを頭に巻いて作業するのが彼流なんでしょうね。あまり、キャラは変ってないようですが。体に気をつけられますよう。