独孤九剣と独孤求敗、葵花宝典
これを見終われば、通常のブログモードに戻るはずなんですが・・・・
恒山派総帥(老尼)の定閒師太が暗殺されたところです、まあ、犯人はあの君子剣を使う似非義侠の男ですけどね。
無敵の独孤九剣を編み出したのが独孤求敗です、負けなしなので「負けたい」と思っているという名です。
それに対して東方不敗が会得しているのが「会得すれば武林に敵なし」といわれる葵花宝典だそうです。
令公子が習得していくのは、崋山派だけでなく、独孤九剣、吸星大法(これは相手の気、内功を自分の中に吸い取ってしまうというバンパイア的な技で、任我行が牢屋に残した覚書をみて自習します)、少林寺の易筋経(原作では会得したのかもしれませんが、ドラマでは固辞してます)といった技です。
独孤九剣は九剣というぐらいですか陽の陽に属するものでしょうが、陽きわまれば陰となるのが摂理ですので、陰をも含む技といえましょうか。だから映像では、確かに相手に合わせて変貌していく「深不可測」の剣のさばきとなってます。
それが崋山派の岳不群や林平之などの嫉みの原因でもあるのですが・・・。
令公子は、常に腰が低く、八方美人で、「邪道」と呼ばれる人たちとも仲良しです、なぜかというと彼の人の選択の基準は「所属」ではなくて、「人間そのもの」だからでしょう。
令狐冲以外の人たちは「所属」や「外見」や「評判」に拘って、道を誤っていきますけどね、まあ武侠小説では、無残な死に方をしますけどね。それが報仇の連鎖になっていくわけです。正直、武侠小説は、仇の連鎖そのものですよ。
前にも書きましたが、1人英雄がいるということは、その人にからむ「仇の連鎖」はかなり有ることになります、それだけ人を殺めて英雄になっているわけですから。それを英雄というかどうかは、実に?ということになります。歴史というのは、その程度のものということになります。
「江湖の色魔」といわれている田伯光も脇役として実に味のある役割を演じてくれます。令狐冲とは「義兄弟」的な関係にありますが。
なお、かなり昔に崇山少林寺も旅游したことがありますが、まわりは私塾の武術学校ばかりでしたね、そして武器がものものしく。でも少林寺の武術というものは、そもそもは仏道の副産物であって主ではないですよね?