自由になるということ
私の目からすると、ジャン・バルジャンの内的葛藤(約束に起因するものです)が解消されたことによって、肉体を心置きなく去ることができたと言えるでしょうか。内的葛藤を抱えたままだと、ジャヴェール(Javert)のように耐え切れなくなって自殺という形になります。
では内的葛藤のまま亡くなるとどうなるか、ですが、これはケース・バイ・ケースでしょう、しかし、おそらく約束を果たしたいと思うことでしょうね。なぜなら、ある段階までは意識は今の生前の自分のそれと同じだからです。なお、だからといって自縛霊にはならないと思いますけどね。
神との契約というキリスト教色が濃い作品といえます、Les Miserablesはですね。主人公のジャン・バルジャンはそれをうまく果たした(これはすごいことです)と言えるので、ある種の爽快感と充実感がありますね。
しかし、チャランポランな私の感覚とは違うものがありますが・・。
そういえば、Sさんはロンドンで2回もレミザラブルのミュージカルをみたといってましたけどね、どこかで元気にしているかな。
約束って契約っぽいですよね。「取り引きのあるところに愛は無い」~なんて言ってられないのがこれまでの社会というゲームステージですが、今後、いつになるのかわかりませんが、約束しなくてもいい世の中になりそうですよね?