祈りとは? Prayer
最新の物理学のジレンマは、 quark以下の微笑なレベルで客観的な測定が不可能なこと(観察者によって影響されてしまうこと)と、限りなく原子を「切り刻んでいく」と究極の粒子を発見するのではなく、広大な「空間」に到ってしまうことです。
そうですね、今までのキリスト者の想念によって精神世界にはキリストの形をしたエネルギー体が存在しますし、その中身が殻の場合もあるし、その中に精神体が入っている場合もあります。
幻視者(visionary)はこの人々の想念によるキリストを観る場合もあれば、キリスト意識(christ spirit)(聖なる意識)が具象化(一時的に形をとる)したものを観る場合もあります。
聖痕現象(stigma)は、キリスト者のイエス・キリストの受難の想念があまりにも強烈な場合に、それが精神世界の結果として現象界にも現れるものです。だからその意味では「奇蹟」です。だって「思った」ことが現象として起こるわけですから。テレーゼ・ノイマン、パドレ・ピオ等の聖痕をもつ聖者の自伝的な内容には、聖痕が現れるときは、イエスの受難を精神世界で追体験していることが書かれています。
もし祈りがイエス・キリストの聖なる部分に向けられる高尚な思いであれば、それは「外部」のキリスト(実は内にも存在しますが)への祈りは福音ですね。
でも「祈り」がエゴに基づくものであれば、negativeになることもあれば、本人に舞い戻ることにもなります。
カソリックには秘蹟があります、それには洗礼や一連の宗教的儀式のesotericな意味が含まれています。それは人間の聖なるチャンネルを活性化させるものです。ただこの秘蹟は「神に近づく」ことでもあり、また聖なる性エネルギー(人はこれをコントロール出来ないことが多い)が「目覚める」ことでもあり、更にそれはキリスト意識に目覚めること(つまりキリストになるとも言えます:でもナザレのイエス・キリストではありませんよ)ので、「秘」蹟とされました。「限られた人のみが知るべきもの」だったわけです。