人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Diamond Gold Body by Smiling, Laughing 笑って金剛身 yemen.exblog.jp

心穏やかに、心持ち次第、ありがとうございます 


by よく寝る、笑う、体を暖める、爪もみ、足揉み

Japan and the Japanese by Kanzo Uchimura

(以下はかなり長めです)

  内村鑑三氏の「代表的日本人」の和訳(岩波文庫)をちらりと読みました。
 この本では、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人が取り上げられていますが、内村鑑三氏の個人的なイメージとは違い(というのも西洋、キリスト教にかぶれた人物と思ってましたので)、この本の中では西洋の思想にかぶれていない、真正の日本人の偉人ということで英語で紹介しようとしているようです。

 で二宮尊徳。からの偉業(仁術を基本とした「農民聖者」)についてはいろいろな本で紹介されていますので勝愛しますが、この「代表的日本人」では二宮尊徳氏の人と為りがこんな風に描かれています。実際にそうだったのかは知りませんが、なかなか面白いと思った次第です。

「わが先生(二宮尊徳)は、(無愛想で)近づきやすい人ではありませんでした。はじめて会う人はその身分にかかわりなく、例の東洋流の弁明「仕事がいそがしくて」と言われ、きまって門前払いにあいました。それに根負けしない人だけが、話をきいてもらうことができました。来訪者の忍耐が切れると、いつも「私が助ける時期には、まだいたっていないようだ」とわが先生は語りました。」

「尊徳から親交を得るためには、常に大変な努力を要しましたが、いったん与えられると、これほど尊いもの、また永続するものはありません。不誠実でふまじめな人間は相手にされませんでした。そのような人間は「天」にも天理にも反してるからです。いかに尊徳の力を用い、いかなる他の人の力をもってしても、その陥っている不幸や堕落から救い出すことはできません。その人たちに対しては、まず「天地の理」と和合させます。そのあと人間による必要不可欠な援助なら何でも提供されました。」

 ***
 ここだけ読むと「傲慢な人」と思うかもしれませんが、そこは二宮尊徳氏の伝記でも読めば、そうではないことが分かると思います。無愛想であろうと、門前払いを喰らわせようが、彼が大飢饉や貧困から多くの人を救い、そして人々を仁術によって「自然」に向かわせたことは間違いないでしょうから。

 それからすれば、現在にいたっては如何に「巧言令色」が為政にも人間関係にも社会にもはびこっていることでしょうか、そして西洋の概念を振り回して、それがもっともらしく受け入れられている状況は、確かに1908年1月8日に内村鑑三氏が指摘して嘆いた通りでしょう。日本人としてのIdentityが「近代の超克」という名のもとに崩壊してしまったということなんでしょう。

 「世の常である」といわれればそれで「世の中、終了」ですが。

 二宮尊徳氏は、「自然」とともに歩む人であったがゆえに急ぎませんし、
「一時しのぎのために、計画をたて、仕事をするようなこともありません」、また「「自然」の流れのなかに自分を置き、その流れを助けたり、強めたりする」、というわけです。

 +++
 なお、二宮尊徳氏は、農民の身分にありながら藩主からの「公の奉公」を3年間断りつづけ(三国志の「三顧の礼」の日本版?!)、また「貧しい人々を救うにはどうしたらいいか」という為政者からの相談には、「金銭を下付したり、税を免除する方法ではこの困窮は救えないでしょう」と述べ、「為政者としてあなたが持っている土地、家屋、衣類などの全財産を売り、手にしたお金はことごとく村の財産にし、自分のすべてを村人のために捧げるがよい」とアドバイスしたそうです。

 実際にアドバイス通りに実行して、村や地域を復興した人も少なからずいたそうです。こういう日本人がいたというのは誇るべきことでしょう。

 ***
 資産家で、先祖代々の有力な家系の某総理や某野党党首に聞かせてあげたいアドバイスですよね。
 党首討論にしても実にレベルが低い!?

 二宮尊徳氏が今もし生きていたとすれば、「仁心が足りず、しかも自然に従わず、自分と自分の保身ばかり考えているからこうなるのだ」と指摘する前に門前払いをするでしょうね。
by triad-dyad | 2009-08-14 02:50 | 日本Japan | Comments(0)