「ストレスとヨーガ・セラピー」(出帆出版)には、クンダリーニ覚醒者の様子について以下の通り書いてあるとか。
1.より広い領域にわたって脳が活動するので、予想外の難局にすばやく対処する能力を持つ。
2.個を確立し、心も知性も成熟しているため、もはや一般の人々とは区別される。
3.あるがままの生気を与えられた身体に、新しいエネルギーの流れが放出される。
4.生命体験に限るだけでも、精妙でしかも形のない変化に満ち溢れ、めまぐるしく移る生命と自由に触れ合うことができる。
5.伝達能力が際立って高まるので、明快に質朴に人と通じ合うことができる。
6.非凡な集中力を備えているので、脳は全感覚器官の知覚衝撃をいつでも即座に受け取る。
7.宇宙における豊かな生命を生きることができ、私たちが知る以上に大いなる自由に住んでいる。 ****
クンダリーニの覚醒と、それの維持と活用、その質の洗練化や深化なども先のプロセスとしてあるでしょうし、何より、クンダリーニ以外のエネルギー源の活用という「次の段階」もありますから、クンダリーニの覚醒の絶対視・神格化は適当ではないでしょうね。
その覚醒はほんの入り口ぐらい程度にすぎない、ぐらいの認識が適当かもしれませんね。
ダルシャンというのは、ある種のシャクティ・パッド、ないしは拈華微笑といったところなんでしょうが、ラーマナ・マハーリシ師のダルシャンの様子というのが以下の通りだそうです、佐保田博士の「ヨーガの宗教理念」によれば。。
***
彼(ラーマナ・マハーリシ)は入門者の方へ燃えるよう眼を向ける。
すると、彼の両眼の輝きと力とが、その弟子の心を貫いて、その想念の連続を破壊してしまう。
時として相手は、まるで強力な電流が流れ込んだように感じることもあった。 ***
小山一夫氏は、「このラーマナ・マハーリシ師の場合も当然シャクティパッドの力が働いているわけですが、これも沈黙の内に真理を伝える一種の拈華微笑だといってよいでしょう」と「ヨーガの極意」で述べてますが。
ちなみに、拈華微笑とは、「釈迦と摩訶迦葉との間で起きた奥義伝承」で、釈迦が一輪の華を胸前にかざしてゆっくり拈り、唯一、摩訶迦葉だけが静かに微笑んだという。
***
ちなみに、「まるで強力な電流が流れ込んだように感じることもあった」としていますが、「まるで~~ように」というのは的確ではなく、「強力な電磁気が流れ込んだ」ないしは
「強力なエーテル・プラズマ流が流れ込んだ」ぐらいが正確なところでしょう。
微笑することで、サハースラは確実に開きますしね。。
今日も読書中。。。「精神世界の扉」成瀬氏のもの。いくつかここで引用してみますと。。。
・例えようのない純粋な瞑想状態である。純粋な瞑想には「霊」と名のつく存在は一切介在しない。もっとえば偉そうな「神」という存在も介在しない。例えようのない心の平安に包みこまれる。このまま大気と同化し、自分という存在が消滅しても不思議ではないと思えてくる。何一つ不安のない自由な時間が即座に訪れる。
・肉体と<根源>の中間に存在する「意識体」が認識できるようになると、意識体は肉体の束縛から解放される方向へ向かう。思考の活動が収まりだし、感性が優位になると、意識体がいろいろなパターンで分離できることを認識し出す。五感のうちの1つだけが肉体から分離することもあれば、視覚と触覚、聴覚と味覚というように2つの感覚が分離することもある。
・瞑想をしていて、音の聴こえ方が変わってきたら、聴覚が肉体から分離し出したと思っていいだろう。そして聴こえるはずのない音が聴こえてきたとしたら、聴覚が肉体の束縛から自由な状態となったと考えていい。
・幽体離脱、体外離脱などと一般的にいわれている現象を瞑想で詳細に観察すると、肉体から分離するのが五感のうちの何であるかが判る。単に幽体離脱、体外離脱という言葉で片付けてしまうのはいい加減であり、正しいとは言えないだろう。 ***
成瀬氏は、観察まずありきというアイデアですので、こういう文章が書けるんでしょう。
なお、肉体を「束縛」と見るのはある段階まででしょうね。
もちろん、アカーシャ・ギリこと成瀬氏が登場してます。
今年は5月25日には下山ということだそうです(メルマガによれば)。
ヨガ行者としてのあくなき実践ぶりはすごいですよね。
ジャスティン・オブライエン氏の著作による「次元の超越者 ヒマラヤの聖者の教え」を読み始めたところです、結構厚い本です。というのも「弟子」的なオブライエン氏のスワミ・ラーマとの25年間の記録をまとめたものだからです。
まだ全部は読んでませんが、ひとつ前の時代のまさに伝統的なヨガの教え、という感じでしょうか。ですので、新たな要素に適応するには不十分という感じもありますが、ただし、ヨガの伝統は自己完結しているが故に安定しています。その安定感をヨガを通じて得ることは適当なのかもしれません、特に足元がゆらついているエネルギー下では。
***
ざっと見た感じでは、具体的な技術指導の要素はあまり言及されていないので、「教え」といってももっぱらスワミ・ラーマのシチュエーションごとの言葉とか「生前」のエピソードとその超人ぶりが主な内容と言えます。
スワミは一応1997年に遷化されています。まさにひとつ前のエネルギー時代でしかるべき準備と種をまくことに専念した聖者だったんでしょう。その種がいま、開きつつある、そんなところなんでしょう。
なお、最後のところで、「少年」にすでに変化した著者によるスワミの「夢」が紹介されています。
スワミ・ムクタナンダはすでに1982年に逝去していますが、
米国でSiddha Yogaなる活動を広め、主にシャクティパッドの手法を活用したグルだそうです。
http://www.siddhayoga.org/guru-muktananda-baba.html「クンダリーニ大全」で紹介されているクンダリーニ・プロセスの体験者の多くは、
ヨガナンダ師(Self Realization Fellowship)のクリヤ・ヨガを実践、または
ムクタナンダ師のシャクティパッドを受けている人がそれなりにいるので、
少し調べてみたというわけです。
****
なお、上記のヨガ手法や団体をお勧めしているわけではありません。
著作でも読んで、どういう発想をしているか見てみるのもいいでしょうぐらいです。
ウッジャーイ・プラーナヤマは征服呼吸法とでも訳せるものだそうだが、これは、いうなれば、イビキを再現するような呼吸というわけだ。
関心ある人は、成瀬氏の著作やDVDを参考にされるとよかろう。
イビキは日本人にとっては、狭い空間を他人と共有していることもあり、きわめて「不快」なものと認識、時には病的なものと認識されている。まあイビキからすれば、「美しき日本」にとって「きわめて遺憾でございます」というコメントが聞こえてきそうだ。
イビキ自体は体の自然の反応だ、自然の反応ということは、そこに肉体を然るべき状態に維持するためには必要な肉体のエネルギー的作業だということだ、それは夢と同様に睡眠中に大方行われる。
このウッジャーイ呼吸法をかなり実践するとわかるが、
イビキ的な音がでるときの喉や口腔の動きやエネルギーの流れはきわめて繊細かつ、延髄や脳髄や脳をソニックでマッサージしていることを感じてくるはずだ。つまり、この呼吸法は、延髄をはじめとする脳全般をマッサージするものなのだ。 だから、一定のリズムでイビキ的な音を作り出すことで、脳は一気にリラックスするし、ちょうど睡眠状態への脳波をいざなうものとなるというわけだ、だからシータ波を意識的にコントロールすることができるという呼吸法だ。 イビキは、体の深いリラックス状態を肉体が意図的に作り出すために作り出しているものであって、イビキをかくということは、いわば肉体がそういう深いリラックス状態を欲しているということともいえる。
だから、イビキの冒頭のコメントになるわけだ。
花粉症の季節がそろそろだが、甜茶という手もあるが、
鼻洗浄。
別にアレルギーはないが、もう数十年来、鼻洗浄Neti kriyaを実践しているが、というかすでに生活の一部でこれをやらないと気分がのらない。洗浄は、器具や塩などは使わず、清水をシンプルに鼻に流し込むやり方だ。
鼻洗浄、ネティ・クリヤに親しんだ人はわかるが、これは鼻洗浄という目的もあるが、体感としては、実は水のエネルギーと鼻腔を流れる振動で、呼吸法同様に脳の延髄や松果体、内分泌線などがマッサージされるのだ。だから、脳の内部をマッサージしてもらったような爽快感がある、だから頭がクリヤーKriya, clearになるというわけだ。
もちろん、頭をすっきりさせるなら、
ロルフィングRolfing的な筋膜をほぐしたり、クラニオサクラルcraniosacral therapy的なエネルギーワークでもいいだろうが、自分でやるなら、呼吸法、鼻洗浄などの簡単な手法があるってことで。
いずれにせよ、これらのワークで、何か副産物を期待するのは意味がない、ただ体の気持ちよさが満喫できる、それだけで僥倖、ぐらいで留めておくことだ。
ヨガをしてシッディ、というのはお門違い、シンディ・ローパーにも「あら、私のこと呼んだ?」と笑われそうだ。
ちなみに、イエメンで花粉症っていうのは殆ど聞きませんよ。
ホーミーKhomei、Throat Singing喉笛についても、いずれ触れておこう。これは、伝統芸能というだけではなく、エネルギー的にも重要な技だからだ、これは別途。
アニッチャ、アニッチャ Anicha
イエメン人某さんの話から、忘れないうちに備忘録的にここに打ち込んで。
で某さんのコメントはこうだ、
「クンダリーニには、2つの顔がある、一つは至福をもたらしてくれるもの、一つは耐え難い痛みを与えるもの。」「後者の場合は、黒色のエネルギーが尾骨あたりから上昇し、胸で詰まって、呼吸さえも困難になるくらいの痛みを与える。」 だそうだ。
イエメンで、クンダリーニという概念、用語を知っている人は、殆どいないのではないか。もちろん、健康ヨガの人口も都会部であればそれなりに増えてはきているが、まだまだ健康よりサバイバルだ。
だから、
クンダリーニ症候群(Kundalini Syndrome)にかかったイエメン人は、残念ながら、四面楚歌で、耐えるしかないということになろうか。この症候群に対応するためには、トランスパーソナル(transpersonal)な視点と深いボディ・ワーク、エネルギーワークが必要になってくる。なぜなら、これは、スピリチャル緊急事態(Spiritual Emergency)に属するものだから。 このイエメン人も最初からクンダリーニをしっていたわけでもない、ごくイエメン的なムスリマだから、ヨガの用語など知っているわけもなし。
ただ、数回にわたるクンダリーニの昇華という体験を通じて、1年ぐらいだろうか、模索した結果、でてきたコメントが上記のものだ。本だけ読んで(たとえばゴビ・クリシュナのとか)、なんとなくわかったように思っている人のコメントととは、その意味合いがまったく違う。
上記のコメントができるということは、それなりにクンダリーニと付き合いができているということでもあるので、ある意味で安心だ。
クンダリーニは黒でも白でも赤でもなんでもなく、もともとは無色透明以前の多次元的なエネルギーと感じる。それに色をつける、水とするか、火とするか、至福とするか、痛みとするかは、その時のその人のエネルギー周波数による、ということ。
もちろん、イダー、ピンガラなどなどの通り道による、というのもそれはそうだが、しかし、クンダリーニはコントロールは殆ど出来ない類のものだ、経験諸子ならよく知っているはずだ。
おっと、窓の外には羊の群れが順序よく歩いていく。近所の住民が、放牧しているからだ。
いずれにせよ、イエメンに一人でもクンダリーニついて経験をつんだ人がいるということは、
エネルギー的にみて、非常に影響力のあることと言え、個人的には満足だ。
忘れてはいけないのは、
歴史的にイエメンは神秘学徒が少なからず通り過ぎていった場所であるということ。だから、クンダリーニの覚醒にしてもなんでも、今の地球のエネルギー下では、容易に起こりうる磁場を持っているということだ。だから、私もここに住んでいる、とも言えるが。