エリトリア人の悲鳴?
さて、Mさんは私の本を見ながら自分で足の裏を押してみたそうで、「ここら辺(腎臓部位)が痛いんですけどね」とちょっと余裕のコメント。
ということで、私のセラピューティクな足もみの開始です。
さて、その後の20分間程度は、MさんもShoutで、頭を抱えたり、腕を握り締めたり、天を見たり、体を左右に捻転させたりとかなりの激しいアクションです。
Incredible!yということで、「信じられないくらいのイタミ」ということなのか、「信じられないくらいワンダフルな足もみ」なのかはわかりませんが、だらだらと汗を流しながらのMさんのコメントです。
後は、永平寺の座禅同様の静けさに浸るMさんでした。
これをアラビア語ではسكينة (サキーナ)と言うんですよと、教えておきました。
(ヘブライ語ならシャキーナ)
これで一人の禅僧の誕生です?!
只管打足 弛緩惰々
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(後日談)
さて、Mさんの足もみ翌日のコメントです。
「朝目覚めたら、体が軽いのと、目の視界が広がり、世界が明るくなったように感じた。」
ということで、感謝されました。
こういう違いを感じられるという身体感覚が大切だと思いますね。
案外、身体感覚が鈍い人は、こういうちょっとした違いが感じられないんです。
ということで、事後の感覚の違いをどう認識できるかどうかで、だいたいのその人の現時点での身体感覚のいろはが見えてきます。揉めば必ず違いは何がしかはでます、しかしその違いは微細であっても、かなり大であろうというのが私の経験による感覚です。