ライトワーカーとしての黒住宗忠氏
この人によれば、
「人の本質は光。すなわち宇宙の生命エネルギーそのもの。
そのことに気づき目覚め、自らの光を輝かせるとともに、
周囲の人々に内なる光に目覚めさせるために働く人々、
ライトワーカー。
言葉としての歴史は浅いですが、概念は普遍的なものです。
そして歴史を紐解けば、日本にも数々のライトワーカーがいたのです。」
ということで、
「特に、日本中を未曾有の大飢饉が襲った天保年間(1830-1840)は、覚醒したライトワーカーたちが最も活躍した時期でした」として、
「東に二宮尊徳、西に黒住宗忠、九州に広瀬淡窓といった人々でした。」としています。
また1771年には伊勢神宮への「おかげ参り」のムーブメントが新たに起こった年として、従来は年間70万人の伊勢参拝者が一気に年に500万人に達したということだそうです。
このムーブメントがその後のライトワーカーたちの活躍に関係があるのではないか、という風にも述べています。
赤福どん、今後もよせてもらいますさかい、ちゃんとおやりなはれー。
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上記には光=良いという発想がありますね、光をより光化すると光でもなくなり、人間には「見えなくなる」、つまり「闇」になることもありますが、まあ、ここでは置いてきましょう。
であれば、Light Worker=Void Workerでもありますかね?
私にとって印象的なのは、黒住宗忠氏の部分です。
というのも、学生時代に通学途中のルートにあったのが黒住教の京都の宗忠神社です(岡山にもあるそうですが)。宗忠神社の中を通りすぎながら、社殿で参拝をして学校を行き来するのが私の通学の作法でしたから。(といっても黒住教徒というわけではありません)。
なお、通学ルートにはこれ以外にも複数の神社仏閣・道祖神や陵墓を通過していくので、個々に私なりの作法がありましたね。若いといえば若かったんですが・・・・
なぜかというと、この神社は神楽岡にあるますので、名の通り、神楽ですので、多くの「神々」が集ってます。
なお、この神社からは境内から大文字山の四季折々の景色がよく見えますし、秋ともなればすぐ手前にある真如堂も眺められます。
なお黒住教では太陽の感得がポイントのようです。
Wikipediaによれば、
「皇室や公家の中に宗忠に帰依する者が多く、宗忠の死後、神道の権威とされた吉田家より「宗忠霊神」、安政3年(1856年)3月8日に「宗忠大明神」の神号が授けられ、文久2年(1862年)2月25日に京都神楽岡に宗忠神社が創建された。宗忠神社は慶応元年(1865年)4月18日、孝明天皇によって勅願所となり(孝明天皇が定めた勅願所は宗忠神社のみである)、翌年2月7日従四位下の神階を宣下された。」