双数形と複数形
言語は、世界の事象を分割するための道具とも言えます。ただ認識論になってくるので、細かいことはここでは触れません。ここでは、いかに世界を人間として認識するかという感覚が、それぞれの言語にはある種の個性がある、ということです。
その意味ではチョムスキーが唱道したような世界言語はあり得ないという風に感じるかもしれませんが、ちょうど個性的な人種という違いがあるが、人間は所詮ヒューマノイドであるのと同様、言語のプロートタイプ(原型)は所詮は同じなんでしょう。
さて、アラビア語には双数形というのが、「あなた」と「彼ら」にはあります。論理的には「私」にも双数形はあったのだろうと想像されますが、フスハーとしては存在していないのでなかったんでしょう。
アラビア語の感覚では、想像するに、自分(たち)以外の人間および物を認識するときに1人、2人、それ以上の複数という3通りで認識しわけているということですから、2人というペアをかなり気にしているということになります。おそらく、ペアという発想(二進法)が強いのか、それとも、2人まではきちんと認識できるからということかもしれません。
私たちについては2人というのは話者とすれば、明確に認識できているので、あえて双数形というものを使用するニーズがなかったとも言えます。
「複数形=2つ以上」というのが当然のこととは簡単にはならないでしょう、だから双数形というのがわざわざあるわけですから。