今日はお盆ということでお坊さんが読経に
浄土真宗が実家の宗派です。お盆ということなので、檀家周りということでお坊さんがきました、私も知っている人ですが、かなり齢(よわい)をとりましたな。
浄土真宗の読経は密教に比せば極めてシンプルではありますが(だから大衆化したんでしょうけど)、ある種の音楽性があります、このリズムが蓮如や親鸞が好んだリズムなんでしょうかね。時たま入れる鈴の音がアクセントですね。
さて、檀家制度のおそらく良い点は、寺の維持として安定性があるということでしょうが、檀家の側からすると、お坊さんは亡くなった近親者(大祖父、祖父など)の逸話をよく知っているってことですね、ですから、私などが知る由もない大祖父についても人物像を知ってたりします、漢文の先生だったそうです(知りませんでした)。
ということで、お坊さんは檀家のある程度の人物的なデータを保有しているということになり、そこら辺の先祖とのリンクをしてくれる存在であるかもしれません。(まあだから困るという場合もありましょうが)
今日の説法では、浄土真宗は南無阿弥陀仏という法に帰依するある意味で一神教的な要素をもっており、仏像自体はあくまで方便によるものであり、偶像崇拝では実はないんだという内容のものでした。
まあ、私からすれば一神教であろうと、多神教であろうと、偶像崇拝であろうと無かろうとどうでもいいと思ってます。そもそも宗教という枠さえもどうでもいいと思ってますので、ある意味で無宗教的です、しかし、エネルギー的にはそうではないかもしれませんね。