文才というものは存在するかどうか
個人的には文才などはどうでもよいという立場です。
なぜなら、個性というユニークさと、文才というのは相容れない概念だからです。
でえてして、文才のあるといわれる人たちの文章は物まねです。そういう風にセットされるといった方がいいでしょうか。学者もしかり、役人もしかり、プレスもしかり、詩文もしかりです。なぜなら先人たちが築き上げたスタイルがあるからですね。これらをうまく模倣できる人は、「文才がある」と評価されるかもしれません。
所詮が、ある種の洗脳というわけです。
書道でもそうでしょう、ある種の枠組みを極めて、それを崩していくことで、その崩し方に個性の一部を表現しうるというわけです。
そういう枠、土俵にのらないと理解されない、独り相撲というわけです。
才能という概念でそれぞれのユニークさをゆがめてしまうのは残念です。