スリナガルをふと思い出す श्रीनगर, Srinagar
私は学生時代に、Walked With Jesusという本(確か)を読んで、スリナガルにイエス・キリストの墓があるということで、出かけたことがあります(懐かしい思い出となってますが)。
スリナガルは、ヒマラヤの麓の高原地帯にあり、インド大陸には相応しからぬ心地よい気候で、ムガール帝国のマハラジャたちが避暑地として夏の宮殿をつくったのは、「当然」という感じです。感じはゴラン高原にも似ていますが、ゴラン高原より、もっと美しい場所と感じます、地下水も当然豊富です、ヒマラヤから流れてきますから。
また、ラダックやレーに陸路で行く人にとっては通過点です。
スリナガルには、確かにイエス・キリストの墓(イーサ)と思しき墓とそれ以外の墓が丁重に保護されています。ただ、長年の紛争で、管理が行き届いてないそんな感じの寂しさが当時にはありました。多分、現地人でもあまり知らないのかもしれません。
一方で、スリナガルは、ヨガのシヴァ派に属する人たちにとっては、特別な聖地でもあり、聖者たちの古の修行地や聖なる洞窟がいくつもあります。
パラマハンサ・ヨガナンダもスリナガルには聖地として出向いています。
聖地ゆえに、さまざまなエネルギーが集まる、それゆえに紛争が耐えないという説と、いや、もともと聖地ではなく、地球にとって封印すべきポイントなので聖地としたのだという説がありえましょう。
ですので、聖地へ赴かれる人は、それなりのリスクを覚悟していかないと、いけません。なぜなら、紛争地帯が多いからです、またアクセスが制限されています。それでも、そこへ赴くことで、「やはり聖地なんだ」と実感されると思います。実際にいけば、テレビや本で「わかったように」なっているものとは体験が全く違うことを実感されるはずです。
聖地となっているのは、長年、人が聖地としてその場所に対して畏敬を抱いてきたことによります、ですのでそのパワーは協力です。そのパワーに当てられてしまう場合もあります。
クリスチャン的にいえば、「祈りのパワー」といえましょうか。
なお、私は旅行では基本的にはひたすら歩きます、そうすると、数十年たっても、足の記憶が、そのときのシーンを再現してくれるんです。スリナガルの町を歩き回ったときの足の感覚は鮮明に記憶に残ります。