「臨死体験 思索ドキュメント 立花隆」
「オカルトなしの臨死体験論は人間の脳と意識の深層世界に深く入り込むことでオカルト以上の面白世界に入っていった」(文藝春秋 立花隆)
ドキュメンタリーでは、あくまで脳科学に基づく、「スピリチャル」を排除した手法を貫いてます。脳神経の複雑さが意識の量であるとの仮説や、脳の爬虫類脳(古脳)に属する辺縁系による本能的な「白昼夢」的な至福体験が神秘体験を惹起する、角回の機能低下が体外離脱感覚を惹起する、またイマジネーションによる偽記憶(false memory)、死後も脳波が出ているなどが紹介されてます。
心の一部ともいえる意識は脳により生み出され、脳の死によって消えるが、死に際して至福の「夢」が脳によって生み出される、といったような流れ。つまり臨死体験は脳の産物、よって死後の世界は存在しない。
幽体離脱という用語は幽体の存在を前提としていることから意図的に排除されてます。
ドキュメンタリーの最後に臨死体験の初期の研究者のレイモンド・モーディ氏に立花氏が会いに行きますが、モーディ氏は自殺未遂を経て矛盾を感じつつも死後の世界はあると確信し、その世界が脳によるものであろうとなかろうと自分の物語の意味を理解しようとしている者にとっての意味合いは変わらないというようなコメント。
とりあえずのドキュメンタリーの結論的な帰着点としては、死に際しては至福体験が現出するというあたり、それは死後の世界がないとしても。その観点からは脳至上主義の科学的な手法も、結論的には最期には夢があるという夢のある話になるわけですね。
いずれの夢であれ、世界であれ、そのデータは何らの形で蓄積されていくんでしょう。全ての人間の生き様は貴重な人類の遺産として。
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いわゆる身体意識(Dyad consciousness)、魂意識(Triad consciousness)という神秘学徒の見方からすれば、科学が扱えるのは前者のみということになりますね。