Self-Contradiction 自己矛盾という「自然体」
自己矛盾というのは、実は「自然体」です。
そもそも、「原罪」と呼ばれる状態は、肉体というエネルギーシステムに別のエネルギーシステムに属する魂的な部分が接続されていること、つまり異質な2つのエネルギーシステムが混在している状態、ですので、この混在は実に矛盾した状態なわけです。
生存競争という外敵があって、その日暮らし(from hand to mouth)の状態ですと、どうしても肉体の知恵が優位になります、他方、肉体的な安定が得られるようになると魂的部分が優位となってきます。
どちらが優位が状態がいいというわけではありませんが。
おそらく、一時的に魂優位になって肉体がエネルギー的に「魂」的に同化してから、肉体と魂が同じようなバランス状態で並存するのがおそらく理想的かもしれませんね。
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戻りますと、自己矛盾というのは後天的な要素(たとえば価値観)の矛盾というよりは、先天的なエネルギー的矛盾によるものというのが適当なんでしょう、だから「自然体」というわけです。この自己矛盾に抵抗したところで土台無理です。
自己矛盾が「自然体」であるとすれば、他人に対して「自己矛盾状態なし」を要求するのは全くの筋違いですし、それは「不自然体」を求めるという行為でもあります。
この自己矛盾状態を、先天・後天太極図のようにスパイラル状にバランスをとることができれば、より理想的なエネルギー状態となるんでしょう。矛盾がないと実は太極図は動きません、つまりエネルギーが流れない死んだ状態です。これは一見すると「平和」のようですが、エネルギー的には「死」そのもので「ゼロ」でもありません。この状態が長く続くとエネルギー的に腐敗してしまうんでしょう。
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ですので、10月10日以降に自己矛盾的な状態のバランスをとるのは極めて難しくなってきているはずでしょう、エネルギー的シフトが原因で。自己矛盾を解消するのではなく、自己矛盾のエネルギーをスパイラル状に動かすことでバランスをとることの方が効果的な対処法(解決法とはいいませんが)といえるかもしれません。
自分が不安定となる状態で、価値判断(大方の場合非難、批判、否定)を自分ないし他人・社会・世界にしたところでますます不安定になって「自滅」するだけですので、注意が必要です。こういう状態は、シンプルにエネルギーの状態の「問題」だととらえた方がバランスがとりやすいはずでしょう。
これらの状態は、誰のせいでもないということを認識しておくことが前提として極めて重要でしょう。だから他人がそういう状態で混乱、自分にとって攻撃的であったとしても、それはそういうエネルギー状態でそうなっているのだ(つまり「大変だ」)と理解する方が適当でしょう。さもないと、相手を責めたところで何も得られないだけでなく、むしろ自分がさらにアンバランスになるとわきまえた方が賢明なんでしょう。
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迷ったら、とりあえず、ブレーキを踏んで立ち止まることです。
価値判断というのは恣意的なものであり、実は正義でもなんでもない、むしろトラブルメーカーだということを弁えておくのも、自分のコントロールの観点からは適当かもしれませんね。今やコントロールすべきは、自分自身であって、自分以外の他人や社会ではないという認識をきちんともたないと、これからのエネルギー状態には対応できずにエネルギーの津波にのみこまれてしまうかもしれませんよ。
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再度、自己矛盾という状態は「自然体」であって、自分自身や他人の矛盾を重箱をつつくように穿鑿して批判するのはエネルギー的には不適切な行為。。。。
またそういう選択(リスポンス)により自分自身がエネルギーの津波に容易かつ時差なくさらされてしまう、そういうエネルギー時代がすでに今ここにあるといえるかもしれませんよ。